「白と黒の境界」アントン後日談 「誰がヒバリを許したか?」 ドラク領からダストハイム領へ御者なき馬車が静かに走る。領主であるはずの彼の傍に侍る者はなく、手を翳せど城門を開ける者などいない。馬車を降り、領主はふわりと宙に浮かび城門を飛び越え領内へと入る。 「あ、王風卿が帰ってきた」 「ふーん、今までどこかに行ってたんだ」 領民たちのおおよそ領主に対するものではない物言いを咎めはしない。理不尽な圧政から解放された反動か、領民たちはだれも領主を敬わない。むやみに頭が高く、そして権力を毛嫌いする風土が生まれた。それの是非を問えば、アントンは苦笑いして肩をすくめるだけだ。 「ダストハイムにはこういう地も必要であろう」 民の目を避けるように、具現化した傘をさし城へと飛翔した。 「おかえりなさいませ」 彼の侍従は、魂が抜けたような人間の男ただ1人だ。心を閉ざした彼は何も思わず、何も考えず、権力を嫌悪するこの土地で唯一彼だけが「嫌悪」を向けない。とはいえ、彼もまた”暴君”アントンによって多くを奪われた者でもあった。侍従を見つめ、雪意卿の語りを反芻する。 ――ある領の領主は、堕落して黒山羊となった。来る日も来る日も、民は領主に扇動されて、冒涜的な宴を催して……僕は見ているしかできなかった。 ――でも、もし領主が黒山羊になる前に、封じることができたのなら。それならば、あの時の民も……辛い目に合わなくてよかったかもしれない。 「もしも彼が言うように、道を踏み外そうとした瞬間に討たれていれば、我は民たちを苦めずに済んだか? お前の人生を歪めずに済んだか?」 侍従は何も考えず、何も言わない。 「罪人を許すのは誰だ? 害をなされた者か? その親しき人か? 真祖か? 秩序の番人たるヘルズガルドの者か? 自分自身か?」 侍従は黙って主の命令を待っている。何も映さぬその目を見つめ、そして逸らす。 「……やめよう、これは我が出す答えではない」 窓から紅月を見上げる。 「そういえば、そろそろ奴と約束していた時間だな。城門まで迎えに行ってやってくれ」 「はい、わかりました」 いつも以上に陰鬱な顔をした、彼と同じ「やらかした」領主を迎える。 「やあやあようこそルオジーク卿! 大人しく物静かな汝がなにを「やらかした」のかと思えば、逆に「何もやらなかった」ということらしいな! ははははは!」 「……笑うようなことではない」 「それもそうだ」 フォレ・ノワールは未だ完全とは言い難いが、徐々に回復しつつあった。人々に食料は行きわたり、畑では若芽が顔を出した。それを見届けたルオジークは数年間ヘルズガルドの騎士矯正施設へと送られることとなり、ダストハイム領各地の領主たちにしばらく留守にするとの挨拶回りをしている。 「矯正施設の先輩として教授してやるが、あの施設は実に最悪な場所だ。まず殺風景! 狭い! そして退屈! 冥王領ですらまだ風情があるだろうて! そして……自由に本を読める時間は、1日たった4時間しかない」 「殺してくれた方がマシだ」 「「教育」というよりは「刑罰」と受け取った方がいいだろうな」 暗い顔をしたルオジークの明日と、彼によって運命を蝕まれた者を憂う。しかしその憂いは顔には出さない。やらかしてなお高いプライドがそれを許さない。 「なに、案ずるな、多少道を間違っても騎士は生きていけるのだよ」 「それでよいのだろうか」 「よいのだ」 口でそう断じながら、心の中で何者かに許しを請う。許しの権を持つ者よ、どうか彼を許してやってくれ。どうか罪を贖わせてやってくれ。過ちに気付きさえすれば、正しき道を歩めるはずだから。 まあ、ルオジークは今後もやらかしまくる予定なのですが